[株式会社メディサポート 取締役] 松﨑一隆 氏
いつの時代も「激動」とか「変革」とか言われているかもしれないが、どの業界においても年々ビジネスのスピードが速まり、変化に追いつくのに必死になっている。成熟社会の中では、消費者の価値観が多様化するとともに、トレンドの移り変わりも早い。技術革新もめまぐるしい。
「今、薬局業界は変化を求められている。既存社員には変化を自分事として捉えてほしいし、就活生にはお手本となる社員はいないし答えもない、自分で考えなきゃならない、といつも口にしている。」松﨑氏はそう語ってくれた。
取材に応じてくれた松﨑氏は、商社や健康食品メーカーのバリバリの営業マンとして海外でも活躍。「根は営業マン」と語る氏は、とても気さくな人柄で、会話が途切れることがない。現在は、薬剤師採用を担当しているが、きっと持ち前の営業マン魂で、求職者や薬学生を虜にしているに違いない。
今回の取材では、メディサポートグループの成長の軌跡や会社の特徴だけでなく、採用担当者としての松﨑氏の魅力にも迫った。
物をつくって、売るという仕事も大変ですが、人を扱う方がもっと大変。
—松﨑さんのご略歴を教えてください
横浜生まれ、横浜育ちです。大学時代に社長の古谷とは同級生でした。サークルの会長・副会長の仲で、私が会長を務めていましたが、今は立場が逆ですね(笑)。
新卒で就職した先は繊維系の商社で、宝飾事業部に配属されました。社会人としての基礎はすべてここで身に付きました。イタリアのオートクチュールの某ブランドとライセンス契約をして、国内でリデザインし、製造を指揮するということをやっていました。イタリアに行って、向こうのデザイナーたちと激論するのですが、そこで相当度胸がつきましたね(笑)。商品開発から管理、販売、広報まですべて一人でやっていたので、力は付きましたね。
その後、一時期体調を壊したことがきっかけで「健康」を扱う仕事に興味を持つようになりました。健康食品のメーカーにも5年勤務していたことがあります。そのころに、久しぶりに会った古谷から「いずれ健康食品を扱いたい」という話を聞かされました。私が勤めていた健食メーカーは中国に製造拠点があり、そこで漢方の概念を学びました。これはいずれ古谷と一緒に仕事をするときに役に立つと感じましたね。これからの時代には「未病」をターゲットとした考え方が大事になるということも感じました。
—いつから古谷社長と一緒にお仕事をはじめられたのですか?
今から10年ぐらい前に健食の製造販売会社の株式会社メディワンを一緒に立ち上げました。すでに古谷は保険薬局事業をやっていたわけですが、メディワンで製造した健食を自前の薬局で販売するという戦略でした。しかし、現場からは総スカンを食いましたね。当時では珍しい蜂の子などの漢方素材を使った商品だったのですが、店舗販売の前に通販雑誌でけっこうヒットしたものですから、薬局での販売もいけるのではないかと踏んでいました。リウマチの痛みに効くという食用の蟻の漢方素材を使った商品もありました。ところが、消費者ではなく自社の薬剤師に理解してもらえませんでした。エビデンスに基づいた薬物治療を専門とする薬剤師には、認め難いものがあったのかもしれませんね。
最近は、フルーツを混ぜて飲みやすくした青汁なども扱っており、ようやく店舗での販売も伸びてきました。10年かかりましたね。
—異色の経歴を持つ松﨑さんですが、現在はどうして採用の業務を担当なさっているのですか?

健食の製造企画や販売を通して、メディサポートやサルートメディカの保険薬局事業にも関わるようになって、まず驚いたのが薬剤師採用の現状でした。本当に人手不足で、社長の古谷も奔走していました。これはどうにかしなければと思いました。これまで中途採用に頼ってきましたが、4年ぐらい前ですかね、新卒採用にシフトしようと社長に提案しました。
物をつくって、売るという仕事も大変ですが、人を扱う方がもっと大変だということに気づかされましたね。でも、営業マンとしての強みは発揮できました。それは大学周りです。これまで新卒採用をやってきていないので、すべて飛び込み営業でしたが、大学の先生や就職課の方々に自社を知ってもらうための営業活動はまったく苦にはなりませんでした。学内説明会に招かれるようになりましたし、そこで知り合った学生を自社説明会につなげることもできるようになってきました。しかし、最後の内定承諾までこぎつけるのはいまだに苦労しています。学生さんに当社を選んでもらえる決め手が十分に伝えきれていないのかもしれません。健康食品も扱っていますし、特徴的な薬局もありますし、社員が自分の可能性を広げられるグループ会社であることをしっかりアピールすることが今後の課題です。
社員の意識改革をしたい
—御社の経営課題はなんでしょうか?
やはり現社員の意識改革ですね。当社は、かかりつけや在宅などまだまだ他社から遅れていると思います。そこで、今年9月から全社員対象の勉強会を始めました。事務職員も対象で、患者のための薬局ビジョン、かかりつけ、在宅医療などの環境変化を自分事として捉えてもらうための勉強会です。強制ではなく任意参加なのですが、9月の1回目の参加率は全従業員の2割でした。この数字が物語っていますよね。変化への危機感がまだまだ薄い。2:6:2の法則じゃないですけど、これが現実なのかもしれません。でも、これからです。少しずつ社内に浸透させていこうと思っています。
—改めて御社の創業から現在までの経緯を教えて下さい。
24年前の1994年7月に現代表取締役の古谷によって創業されました。神奈川県相模原市の淵野辺薬局からスタートし、鹿沼台薬局に続きオリーブ薬局羽田店をオープン、その後はオリーブ薬局をブランド名にして店舗展開してきました。
さらに、2006年に有限会社サルートメディカを立ち上げ、横浜市に初めてひとみ薬局を上永谷に開業しました。そこから神奈川県内の新規店のブランドはひとみ薬局として、それ以外をオリーブ薬局としてすみ分けしています。
現在は、神奈川県を中心に、東京都、千葉県、埼玉県と南関東を中心に14店舗を展開しています。1号店である淵野辺薬局の元管理薬剤師が当グループ内で独立したという事例もあります。
当社が求める人材像は、『ボランチ』ができる人。
—仕事をするうえでの松﨑さんのポリシーってなんですか?
そうですね、正直であれってことですかね。もともと営業をやっていましたから、クライアントや商談相手に変化球を投げる時もあります。泥臭い役目も平気です。でも、ここぞという時は直球勝負ですね。迷った時は突っ込むしかないという考えです。
—そんな松﨑さんが自社で採用したい求める人材像は?
サッカーでいうとボランチができる人材です。ピッチを俯瞰して、必要に応じて攻めにも守りにも変化できる。これって職場での立ち回りのうまい人に共通していると思うんですよね。
私はずっと野球をやっていたのですが、野球と違ってサッカーは、試合が始まったら選手に任せるしかなくて、監督の指示はほとんど届けられない。プレイヤーが状況に応じて自分たちで考えて動くしかない。その中でボランチはピッチに立つ監督のようなもの。後方から声を出して指示を出す。職場でもいちいち社長が細かく指示を出すわけではなく、自分たちで考えて行動してほしい。
薬剤師としての専門性を持っているのは当たり前。職場や地域を俯瞰して、状況に応じて必要な役目を担えるボランチの立ち回りが必要だと思っています。
—新卒採用場面で学生と接している松﨑さんですが、今の学生に伝えたいことってありますか?

採用面接時に、「勉強したい」って言っちゃダメって伝えています。教育研修制度がしっかりしている会社を選ぶのもいいですが、会社は勉強するところではなく、仕事をするところです。勉強は身銭を切ってやるものだ、って言っています。私も社会人1年目のときに先輩に言われました。新聞と本は自分の金で買えって。そうしないと絶対に読まないからということでした(笑)。大学では教室に座っていれば、情報は与えられますが、社会人になったら情報は自分で手に入れるという心構えを持ってもらいたいですね。
そして今は変革の時期です。変化ということにおいては、既存社員はお手本にはなりません。なぜならこれからの変化をまだ誰も経験していないからです。だから、こうしたらいいという答えもありません。当社に来たら、先輩社員に教えてもらうのではなく、一緒に学び、一緒に答えを模索してほしい、そういうメッセージをいつも投げかけています。
松﨑 一隆(まつざき・かずたか)
大学卒業後、商社でのマーチャンダイジングやメーカーでの製造企画などを経験。健康食品を取り扱う株式会社メディワン、保険薬局事業の株式会社メディサポート、有限会社サルートメディカ、株式会社メディファを有するメディサポートグループの取締役として、主に薬剤師新卒採用業務に従事。
【企業プロフィール】
企業名 | 株式会社メディサポート |
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設立 |
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資本金 | 2,000万円 |
売上高 | 28億円 |
従業員数 | 約110名 |
事業所 | 神奈川県相模原市 |