[有限会社永妻薬局 代表取締役] 永妻伸介氏
薬局がお休みの日に取材に行ったのだが、取材中にも近所の患者さんが訪ねてくる、まさに地元密着の薬局。今回は、江戸川区で30年薬局を営んでいる2代目社長永妻伸介氏を取材した。
とても気さくで、人当たりの良い雰囲気の永妻氏。医療専門職のお堅い感じは微塵もなく、いうなれば地元商店の気前のいい兄ちゃん。しかし、社内のみならず地元でもリーダーシップを発揮している活動家の一面もある。多くの人を巻き込み、一つのベクトルに向かって船を漕ぐ船頭という意味では、頼りがいのある兄ちゃんともいえる。
地元に愛される薬局づくりをする一方で、地元を大切にするための活動にも余念がない。地元密着をキャッチコピーにする薬局は多いが、本当の意味でそれを体現している薬局は少ないかもしれない。永妻薬局における一例として、「足回りの健康セミナー」から紹介していきたい。
処方せんがなくても気軽に入れる薬局
—御社の薬局にて開催された「足回りの健康セミナー」について教えてください。
北千住にあるわかば調剤薬局のスタッフが日ごろ、患者さんから靴選びや歩き方などの困りごとを聞いていました。処方せんがなくても気軽に入れる薬局を実現する一つのヒントになるのではないかと考えて、知り合いのツテで理学療法士を講師にお招きし、足回りの健康セミナーを開催してみました。それは開局30周年記念を兼ねてのイベントとなりました。
立ち見が出るほどの盛況ぶりで、参加された地域住民からは「自分だけでなく家族の相談もできた」「薬以外でも相談できるんだ」との感想をいただきました。当薬局を利用したことのない方の参加もあり、薬局の認知度向上としては非常に有意義なセミナーとなりました。

—こういうアイデアは、現場のスタッフからの提案なのですか?
そうですね、小さな会社ですし風通しの良い社風を作れるよう心がけています。社長である私も薬剤師として現場で一緒に仕事をすることが第一だと思っています。そうすることで普段から私の考えをスタッフに伝えることができますし、会社や薬局の目指す方向性さえしっかり伝われば、スタッフが実現のためのアイデアを出してくれます。そういった肩肘張らない雰囲気づくりが一番大切です。
同じ北千住にあるあおば調剤薬局では、OTCや健康食品の品ぞろえをスタッフに考えてもらっています。自分たちで実際に試して良いと実感できた商品を店頭に並べています。マヌカハニーやユーグレナ、天然の生姜湯など当薬局オススメの商品がありますよ。
「若ZO会」からE-DSAP
—ユニークな取り組みは自社内だけでなく、社外でもやられていると聞きましたが。
災害対策の活動のことですね。奇しくも東日本大震災の2日前に、地元の薬剤師を集めて「若ZO会」と称した情報交換の会を創設しました。今でも2か月に一度のペースで飲み会を開いて、自称若者の薬剤師や薬業界関係者の交流をしています。その1回目を開催した2日後にあの震災が起こりました。この会のメンバーでも家族が気仙沼で被災されたという人がいて、何か助けになれないかとの想いで手始めに募金活動を始めました。そんなことがきっかけとなって、2年ぐらいかけて江戸川区薬剤師会の中に災害対策委員会を設置するに至りました。E-DSAP(Edogawa disaster support authorized pharmacist)「災害時支援認定薬剤師」という認定制度も作りました。地元江戸川区の災害時に活動することを目的としていますが、北関東の豪雨災害や熊本の震災の時にボランティア派遣もしました。
—社内外で活躍されている永妻さんですが、改めてご自身のこれまでのキャリアについて教えてください。
城西大学を卒業後、当時5~6店舗の調剤チェーンに入社しました。勉強になるのならどこの店舗への配属でもいいですといったら、姫路の店舗に飛ばされました(笑)。いろいろな経験をさせてもらいましたが、結果的にその会社に長く勤めることはなく、家業を継ぐために戻ってきました。医薬品卸、薬局、SMOを事業とする父の会社に勤めました。先代である父から会社を引き継ぎ、事業売却などを経て、保険薬局4店舗の現在の会社に落ち着きました。代表取締役になったのは3年前です。それまでは卸業の仕事もしていましたし、江戸川の地主なので小松菜の百姓もしていました(笑)。午前中は卸として医療機関に薬を配達して、午後は白衣を着て薬剤師。特に気持ちの切り替えもなく、自然とそうしていましたね。
もともとは薬剤師になろうと思っていなかったんです。3人兄弟の真ん中なので兄が家業を継ぐだろうと思っていたら医学部に行ってしまって。私は高校ではどちらかというと文系で、おまけに料理が好きだったものですから本当は料理人になりたかったんですよね。でも、自分が継がなきゃと思って薬学部に行きました。
医療者だけど、商人であれ。

—社長として3年ですが、何かご苦労はありましたか?
社内の人間関係構築が難しいとか、そういう話をよく聞くじゃないですか。私が最初に務めたところもそういう問題がありましたし。でもうちはスタッフに助けられています。うちのスタッフは最高です!本当に仲良くて。店舗によっては私を含め互いにちゃん付けで呼び合ったりします。職場の雰囲気づくりのために特別なことは何もしていませんが、僕がこういうキャラクターですからね(笑)。自然とそういう雰囲気になるんだと思います。
中途採用場面では気を付けていることがあります。それは、求職者の方に「今いるスタッフが一番大事」という話をしています。この薬剤師不足の中、面接に来ていただけるだけでもありがたいのですが、その求職者を採用することで今の職場の雰囲気が変わってしまったり、壊れてしまったりするようなことは絶対に避けたい。ただ、採用して実際に一緒に働いてみないとわからないことはありますよね。私ができることはスタッフを大事にするという気持ちをみんなに伝えるだけですが。
—永妻さんの想いがスタッフに伝わっているんじゃないですか?
ありがたいことに従業員の定着率は良く、平均離職年数が10年以上です。
昔、当社でパートとして勤めていた人からフルタイムで働きたいとの申し出があったのですが、そのときはフルタイムの枠が埋まっていたので、仕方なく他の薬局へ転職されました。しかし、つい先日その方から戻ってきたいという話がありました。また、出産を機に退職した方が数年後に同店に復職したり、それこそ創業当時から30年間勤めている方もいます。
今どき珍しいと思いますが、お給料を封筒に入れて手渡ししています。先代のころから続けている習慣です。手渡しすることで社長からスタッフに感謝を伝えられるし、そこでちょっとしたコミュニケーションが生まれるのがいいと思っています。銀行振り込みにしてくれというスタッフもいますけどね。そこは頑なに(笑)。
—永妻さんの薬局経営者としてのポリシーをお聞かせください。
この店舗は自分で設計しているんです。実は宅建も取得しています。先代から「商人たれ」と教えられました。薬局は客商売だと。だから店舗も自分で作れと。何度も何度も設計図を書き直しました。そうすると自然と構造設備に関する法律や規制などを理解できますし、よりスムーズな作業動線を考えるようになります。とてもいい経験でしたね。だからこれから開業しようという若い薬剤師には「自分で店舗を設計しろ」と私も言っています。
変な言い方ですが、私は医療者というより根は商人ですね。周りも私をそう見ていると思います。
だからというわけではないですが、今後の調剤報酬のこととか薬局を取り巻く環境変化に関心が高いです。社内の経営課題というよりは、外の課題ですね。社会インフラとして個人薬局がどう生き残っていくかという業界の課題をどうにかしなきゃと思っています。
【代表取締役プロフィール】
永妻 伸介(ながつま・しんすけ)
1977年生まれ。城西大学薬学部を卒業後、父の経営する会社で医薬品卸・保険薬局事業に12年間従事。卸事業の売却などを経て、3年前に有限会社永妻薬局の代表取締役として継承。
【企業プロフィール】
企業名 | 有限会社永妻薬局 |
---|---|
設立 | 1987年8月 |
資本金 | 500万円 |
売上高 | 3.8億円 |
従業員数 | 20名 |
事業所 | 東京都江戸川区 |