[有限会社 木須調剤薬局 取締役] 松原幸三氏
—個人薬局の2代目経営者の想いとはいかに?
今回、取材に行ってきたのは横浜市にある木須調剤薬局。ベッドタウンである相鉄線希望ヶ丘駅の目の前にある。父である創業社長から経営のバトンを渡された2代目の松原幸三氏、32歳。まだ代表取締役の立場ではないが、実質会社の運営を託されている。
読者の中にも実家が薬局を営んでいるという方は多いのではないだろうか。幼いころから家業を継ぐという想像はあるのかもしれないが、そうではない道を選ぶことだってできる。薬学部ではない進路を選んだっていいし、たとえ薬学部に入ったとしても、別の職業を選択したっていい。2代目の選択の葛藤は、サラリーマン家庭に育った筆者にはわかりえないものがあるに違いない。しかし、松原氏は「いつかは家業を継ぐと思っていました。」と思いのほかあっさりと答えた。
今回の取材では、家業を継ぐという意識の芽生え、親子船の舵取りの苦労など、2代目ならではの話題に迫った。
薬学部進学は、親の口車に乗せられた!?
—松原さんのご略歴を教えてください。

昭和薬科大学を卒後し、横須賀にある個人薬局に3年間勤めました。かつて当社は横須賀にも店舗をかまえていて地区薬剤師会でのつながりから、社長である父の勧めでこちらの薬局でお世話になりました。3年後には辞めて家業を継ぐことを前提としていたため、調剤業務以外に薬局運営の知識も教えていただきました。卒後の進路には正直迷っていましたが、将来的には家業を継ぐつもりでしたので、薬局への就職という道を選びました。
—早い段階から家業の薬局を継ぐ決心だったのですか?
そうですね、高校生のころ薬学部を選んでいる時点で、親の口車に乗せられたわけです(笑)。別の職業選択も考えたこともありましたが、やはり蛙の子は蛙ですね。家業を継ぎたくないとか、あえて別の道を進みたいといった反発心はありませんでした。
—個人薬局での3年間はいかがでしたか?
とても充実した楽しい3年間でした。同期入社がいないという寂しさはあったかもしれませんが、それは大学時代の友人と会えばいいわけですし、職場でもかわいがってもらいましたのでそれほど気にはなりませんでした。アットホームな薬局でしたね。社員の赤ちゃんがバックヤードで寝ていたり(笑)。大手企業にはない自由度が実家の薬局に近いものがあってとても参考になりました。
社長の30年間の営みは崩さずに、新しいことをプラスしていく。
—27歳で家業に入ったわけですが、最初のご苦労は?
実家とはいえ新入社員です。ですが、2代目でもあるというちょっと複雑な立場ですので、既存スタッフとの付き合い方が難しかったですね。スタッフに対する社長のこれまでの要求レベルや内容と私が考えるそれとでは必ずしもすべてが一致しません。社長の言っていることと私の言っていることに差があるとスタッフもどっちの考えに従うべきか迷いますからね。その差を埋めていくこととスタッフへの伝え方には今でも気を遣います。
—その気の遣い方といいますか、スタッフとは具体的にどのように関わってらっしゃったのですか?
社長のやってきたことや職場の仕組みは、なるべく崩さないようにしています。そのうえで新しいことをプラスしていく感じですね。「薬局で地域住民向けのイベントやるから出られる人は出て!」「新しい健康食品をラインナップに加えるよ」といった具合で号令をかけて、まずは反応してくれる人がついてきてくれればいいと思って始めました。最終的にはスタッフ全員が理解してくれてついてきてくれることを願っています。薬局業界も受動的な仕事から能動的な仕事にシフトしてきています。いつまでも、処方せんが来るのを待っていてはダメですよね。今後、生き残っていく薬局って自主性を持った薬局だと私は思っています。
—新しい取り組みに対して社長はどのような反応を示されていますか?
家業に入ってからは、実質薬局運営や経営全般を任されています。最終決定は社長が担いますが、新しい取り組みに対しては特に注文が入ることはないですね。好きにやれと(笑)。2~3年前にこの店舗の建て替えがあったのですが、間取りや内装は好きに決めていいぞと言われ、ちょうどそのくらいの時期から政権交代という感じでした。
—親子ならではのメリット・デメリットはありますか?
もともとの親子関係があるので自由にやらせてくれるというのはメリットですね。逆に親子だから言いたいことを言い過ぎてもしまう、遠慮がないというのがデメリットですかね。普通は社長に歯向かいませんよね(笑)。でも親子だから喧嘩にもなります。あとは、ビジネスとプライベートの線引きが難しいことですかね。それもあって、私は家業に入ったときに、一人暮らしを始めました。ビジネスとして実家に戻ってきましたが、プライベートとしては実家を出たわけです。
スタッフという人で支える薬局=「あなたがいるから、この薬局に来たい」
—創業社長はどういう想いで薬局をやってこられたのですか?

決して店舗拡大路線ではありませんでした。相鉄線の希望ヶ丘駅前に1号店を出し、横須賀に2号店。しかし、2号店は閉局。希望ヶ丘駅の反対側に3号店と、約30年間で3店舗ですから、もともと地域密着型を目指していたようです。
「あなたがいるから、この薬局に来るんだ」と顧客に思ってもらえるサービスを提供するというのが社長の理念です。人で支える、人が作る薬局ということですね。ですから、患者さんとは非常にフレンドリーです。当時小さかったお子さんが高校生ぐらいになって「私のこと覚えていますか?」と言ってきたり、糖尿病の患者さんが隣のスーパーで買ったお菓子を没収したり(笑)、そんな関係性が築けています。
—2代目の経営ビジョンはいかに?
32年続いていますので、とりあえず50年!できれば100年生き残れる薬局になりたいですね。そして大手の傘下に入らずに独立した形で経営を続けたいです。経営の自由度を保つためにも自前でやっていきたいですね。
私も店舗拡大というよりは、今の2店舗を充実させたいという考えです。できるのであれば、飲食店併設の薬局をやってみたいですね。健康をテーマにしたカフェやレストランと。そんな夢もあります。
現実路線としては、保険外収益を増やすということですね。健康食品などの小売りの部分を強化したいです。
病気が治って治療が終了した後の未病の状態でも引き続き健康維持のために私たちが関わっていけるというのが理想です。処方せんがなくても入ってきやすい薬局、薬局っぽくない薬局を作っていきたいですね。
—最後に、松原さんが捉えている経営課題は何でしょうか?
私がやりたいと考えていることをスタッフに伝えきれていないことです。伝えるのがうまくできていないという個人的な成長課題ですね。スタッフ全員を集めた会議もないですし、でも今後は年に1回ぐらいは全員が集まって食事でもしながら交流するという機会を作ってみてもいいですね。
松原 幸三(まつばら・こうぞう)
2007年昭和薬科大学卒業。個人薬局での勤務を経て、家業へ。地元薬剤師会など社外での活動にも積極的に参加。夢はカフェ併設の薬局を作ること。
【企業プロフィール】
企業名 | 有限会社木須調剤薬局 |
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設立 | 1985年5月 |
資本金 | 300万円 |
売上 | 2億5千万 |
従業員数 | 13名 |
事業所 | 神奈川県横浜市区 |